御滝 龍泉寺のホームページ


〒701-1464 岡山市北区下足守900
TEL:086-295-0130 FAX:086-295-0182

龍泉寺の写真

龍泉寺の俯瞰図

龍泉寺境内の俯瞰図でお寺の建造物を描いています。

龍泉寺(岡山市北区下足守)は、吉備路の北部、龍王山の西中腹に位置しています。岡山県立自然公園に指定され、自然豊かな環境が保存されています。
古来、磐座(いわくら)信仰の霊地であり、そのことを示す古代祭祀跡があります。八大龍王の御神体である龍王池の歴史は古く、その由来は「鬼城縁起(きのじょうえんぎ)」に登場しています。
龍泉寺の施設は、江戸時代末期以降のもので、石垣を組み上げ、傾斜地を巧みに利用して建造されています。拝殿の釉薬瓦の鬼瓦・棟飾り瓦は、珍しいと言われています。
敷地内には、龍王池、長池、トンボ池の三つの池があり、池の周辺には湿地が点在しています。湿地には、トキソウやサギソウなどの希少植物が自生し、ハッチョウトンボなど多くのトンボが生息しています。春はコバノミツバツツジ、秋はイロハモミジの紅葉が美しく、四季を通じて里山の自然を楽しめます。
森林浴に、ハイキングに、自然とロマンの地、龍泉寺にお越しください。

境内の施設

龍泉寺の山門

山  門

足守から空港へ向う峠越えの途中、右手に、龍泉寺の看板が目に入ります。

龍泉寺の拝殿

拝  殿

釉薬瓦の鬼瓦と棟飾瓦は珍しく、明石の瓦職人の西山上七と重蔵の作です。

龍泉寺の本殿

本  殿

最上経王大菩薩、鬼子母神、三面大黒をお祭りしています。(八大龍王は龍王池が御神体)

龍泉寺の鐘楼

鐘  楼

鐘楼は堂宮大工十一世伊藤平左衛門、明石塩焼瓦は西山上七、梵鐘は太田清治の作です。

龍泉寺の祖師堂

祖師堂

お釈迦様、日蓮様、日護聖人をお祭りしています。

龍泉寺の石垣組み

石垣組み

日護聖人の時代に造られた石組みは、その後、井上芳平の手により整備されました。

龍王の瀧と御瀧本殿

龍王の滝と御滝本殿

日護聖人の時に、滝修行の霊場として、"龍王の滝(最上の滝)″が整備されました。

八大龍王大宝塔

八大龍王大宝塔

八大龍王の御神体の"龍王池″の南側に、巨大な自然石で八大龍王をお祭りしています。

身代り地蔵のお社

身代り地蔵のお社

身代り地蔵300年祭(昭和58年)に、現在のお社と地蔵尊を奉納しました。

永代供養塔と永大供養墓

永代供養塔と永代供養墓

自然豊かな地に、永久の安らぎの永代供養塔(報恩の塔)と永代供養墓があります。

浄行菩薩と福ねこ地蔵

浄行菩薩と福ねこ地蔵

菩薩を洗い清めて、健康を授かります。地蔵の手のひらに触れペットの健康を祈ります。

龍神の松と寺務所

龍神の松と寺務所

姿が昇竜に似ているので"龍神の松″と呼ばれています。樹齢は250年を超えています。

龍王池

八大龍王について

八大龍王は、生命の源泉である"水を司る神様″です。お釈迦様がお生まれになった時、天より甘露(かんろ)を降らせ祝福したともいわれる高い神格をもつ龍神です。
八大龍王は、人々の願いにあわせて、奇瑞(きずい)を現し、八つの異なる姿に変化(へんげ)し、お救いになります。
農耕民にとって、雨は大切で、"雨乞いの神様″として、信仰されています。
4月第3日曜日に、八大龍王大宝塔の前で、"八大龍王祭″の祭事が行われます。

甘露(かんろ)=インド神話では、神々が常用する甘い飲み物。飲むと不老不死になると言われている。

奇瑞(きずい)=めでたいことの前兆として起こる不思議な現象


八大龍王と龍王池

八大龍王多宝塔の赤鳥居
八大龍王御神体の赤鳥居


龍泉寺では、龍王山に降りそそいだ天水を貯える龍王池を"八大龍王の御神体″としてお祭りしています。
昭和17年に、御神体の龍王池の南側に眠っていました巨石を掘り起こし、八大龍王大宝塔として建立し、お祭りいたしました。大宝塔側と龍王池側の両方に"赤鳥居″を立て、神域といたしました。
八大龍王の赤鳥居のある聖地で、八大龍王にお願いし、八大龍王のお札をお祭りすると、ご加護があるかもしれません。


巨石と湿地

ゆるぎ岩

ゆるぎ岩

指で大岩が動くと言われています。

太閤腰掛岩

太閤腰掛岩

高松城攻めで、本陣が龍王山にあった時、秀吉が腰掛けたと言われています。

鯉岩

鯉  岩

岩の形状が、鯉の頭部に似ていることから鯉岩と呼ばれます。(細道は江戸時代の旧道)

千畳岩

千畳岩

周囲をモミジに囲まれた大きな岩が畳状に広がっています。

貯水量を測る五合岩

貯水量を測る五合岩

岩が水面に現れると満水に対して半分の貯水量を示すことから、五合岩と呼んでいる。

三井谷の杓子岩碑

三井谷の杓子岩碑

毎日、母の平癒祈願した親孝行娘の伝説を伝承するために地元の方が碑を建立しました。

トンボ池湿地

トンボ池湿地

チョウトンボなど多くのトンボが生息、マコモ、ジュンサイ、スイレンなどが生育

身代地蔵尊の由来

身代地蔵尊のお社で行われた身代地蔵尊祭

身代地蔵尊(中央)、江戸時代からの身代地蔵(祠内)

毎年、10月第3日曜日に身代地蔵尊祭が行われます。龍泉寺の身代地蔵尊は、この地を永きにわたって災難から護ってこられた「身代地蔵様」です。身代地蔵様の由緒ある由来を紹介します。

現在の国土地理院GSI Mapに、江戸時代の大窪越えのルートを追加して掲載

備中足守から龍王山を通り大窪を越え備前一宮へ通じる山越えの古道があります。この道は、一説によれば、羽柴秀吉が備中高松城を攻めるために天正10年4月(1582年)に龍王山に本陣を構えたときに利用したといわれています。

江戸時代に、備中足守藩と備前岡山藩との往来は、高松知行所・津寺知行所を通り真金から山陽道に入るのが通常ルートですが、龍王山から大窪越えのルートは山越えでしたが直線距離で短く、人目につかないので利用されたようです。

江戸時代に龍王山の山中で“追いはぎ”が出没し、この道を利用していた足守の人々の脅威になっていました。貞享(じょうきょう)年間(1684~1687年)(その頃の将軍は徳川綱吉)に、上足守村上之町の人々が身代りにと龍王山山中の山道の傍の岩(鯉岩)の上に地蔵を安置しました。 この地蔵は上足守上之町の人々によって代々お祀りされてきました。昭和16年10月18日(1941年)に上足守上之町の代表者の方々から要請され、この身代地蔵を龍泉寺がお祭することとなりました。

1684年頃から1983年まで鯉岩の上に安置されていた身代地蔵

山越えの古道の傍の岩(鯉岩)と現在の身代地蔵尊のお社


貞享元年から数えて300年の昭和58年(1983年)に、江戸時代から安置されていた鯉岩の上部の山地を切り開いてお社を建立し、新しく彫られた身代地蔵尊を安置し、「身代地蔵尊300年祭」を執り行いました。江戸時代からの身代地蔵様は向って右側の祠におさめ安置しています。
1684年頃から現在まで、地域の方々・お参りされる方々を見守ってこられた由緒ある身代地蔵様です。

 
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